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ウェザー・レポート/ジョー・ザヴィヌル
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-1:グループ概要・メンバー
-2:ディスコグラフィー
-3:メンバー年表
1971-1986 グループ
 1970年12月に、Joe Zawinul(ジョー・ザビヌル:Key, Piano、作編曲)、Wayne Shorter(ウェイン・ショーター:t-sax, s-sax、作編曲)Miroslav Vitous(ミロスラフ・ビィトウス:Bass, E-bass) の3人で結成され、世界的に有名となったグループです。 初期のリーダーアルバム3作品はアメリカ東海岸、それ以後は主に西海岸を拠点(というか、スタジオ録音は西海岸が多いので)としていました。 グループ名の「Weather Report」は直訳すると「天気予報」ですが、音楽評論家・池上比沙之 氏によると、Wayne Shorter Joe Zawinul は「風見鶏」という意味でこのグループ名を付けたとの事です。
 
 Wayne Shorter
Joe Zawinulの2人以外は何度かのメンバー変更を行いながら、だいたい常時4〜5人のメンバーで約15年間活動し、サウンドを少しづつ変化させながら1986年のアルバム発表を最後に解散しました。 Key、Sax、Bass、Drumsの計4名の他に、 Per(パーカッション)が加わる事が多く、おおざっぱに言うと不思議なメロディーと、強力なリズムに特徴があります。 参加したメンバーの多くはJazzをルーツに持つミュージシャンですが、特にグループの代表格の2名、Wayne Shorter と Joe Zawinul は、ジャズの帝王と言われた Mils Davis のグループに、1960年代後半の数年間在籍した経験がある前衛的なミュージシャンです。 1976〜1981年の間、Jaco Pastorius(ジャコ・パストリアス:E-Bass、1951〜1987)という大スター・ベーシストが在籍した事でも有名です。 一部のアルバムを省き、ギターが加わる事はほとんどなかったようです。

 Weather Report の存在は、音楽ファンの間では世界的に大きかったにもかかわらず、模倣者の出現を許さない特別な個性を今もなお保っています。 残された作品群は発表から25〜40年ほど経過していますが、その多くは今聴いてもかなり斬新です。 ジャズやクロスオーバーというカテゴリー分けは、もしかしたら無意味なのかもしれません。

 15年間と言う活動の中で少しづつグループのサウンドが変化しますが、大まかな傾向としては、結成〜70年代始めはJazzっぽく、かつてのJazzの帝王Miles Davis の影響が指摘されています。 70年代半ば〜後半にかけてはこのグループの全盛期で、独自のスタイルが確立し代表作が生まれた時期(特に Joe Zawinul の影響が強まったとされる時期)、そして80年代に入るとさらに Joe Zawinul の影響が強まり、Jazzの雰囲気は少なくなり、ロック、ワールドミュージック(民族音楽風でJazz的でない)、テクノを連想するサウンドに変化します。 また、共通して言えるのは、ベース・ドラム・パーカッション等のリズム陣がかなり強力だった事。 これらの特徴はあきらかに Joe Zawinul によるもので、Weather Report 解散後に Joe Zawinul が立ち上げ、2007年に没するまで活動したグループ「Zawinul Syndicate」にもそのまま受け継がれています。

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 Weather Report は活動当時も人気が非常に高かったのですが、現在も熱心なファンが世界中に多くいるようです。 このグループの本当の全盛期は実はいつだったのか?、誰がこのグループの実質的なリーダーだったのか?の議論や、大人気ベーシスト、ジャコ・パストリアスが数年在籍してその後若くして亡くなったり、グループ後期のWayne ShorterJoe Zawinulの不仲説等のゴシップ・話題性もあり、解散後も現在に至るまで、評論家やマニアの方がかなり詳細に深く「研究」されています。 メジャーレーベルから発表された16組のアルバムはそのほとんどがまだCDとして入手可能で、グループの解散後16年が経過した2002年には、同バンドの全盛期と一般的に言われている70年代半ば〜80年代始め頃の未発表ライブ録音を集めた2枚組CDが発売されています。 これからもずっと愛され続けるグループでしょう。

 また、このグループの活動時期もそうですが、一般的に全盛期と言われている70年代半ば〜80年代始め頃は、クロスオーバーミュージックの全盛期と一致します。 クロスオーバー全体が衰退し始めた1980年代に入ってからは、多くの人が指摘するようにこのグループの勢いも衰え始めたと思います。 そう言う意味では、時代の空気に呼応し爆発的に傑作を生み出して時代と共に消滅していったグループだったのかも知れません。 そう思うと、70年代半ば〜後半にかけてのあの時期というのは、いろいろな新しい才能や音楽を生み出した「奇跡の時期」だったのではないかと改めて思います。

2006(H18)年05月02日掲載・2009年1月一部追加

<主要メンバーのプロフィール>

他のサイトやCD等のライナーノーツにも書いてありますが、いちおう結成メンバーや、その他の主要メンバーの簡単なプロフィールを。

1973年アルバム「Sweetnighter」のジャケット裏面より>
Joe Zawinul(ジョー・ザビヌル) 1932 - 2007
 Key、Piano、作曲、編曲、プロデュース
  • 1932年7月7日 オーストリア・ウィーン生まれ。 生まれた年と場所から言って、子供時代はヨーロッパで第二次大戦を経験していると思います。 何と7歳からウィーンの音楽院で学び、その後どういう経緯でJazzに関わりを持ったのかわかりませんが、CDライナーノーツ&複数のサイトによれば、母国のジャズオーケストラで活動後、1959年(27歳)に米に渡りメイナード・ファーガソン楽団、スライド・ハンプトン楽団等のジャズバンドでピアニスト兼アレンジャーとして活躍し、その間ダイナ・ワシントン(Vo)の伴奏などを行ない、1962年(30歳)からはキャノンボール・アダレイのグループに在籍していたそうです。 1968年(36歳)からは Miles Davis(マイルス・デイビス)のグループに在籍し、Miles Davis のエレクトリック路線を完成させたと言われています。 そこで Wayne Shorterと出会ったのでしょう。 それまでにも自分のリーダー作を数枚発表しているそうです。 Weather Report 初アルバム「Weather Repot」発表の1971年は38〜39歳の頃で、Wayne Shorterとは同世代です。
     
     
    Joe Zawinul Weather Reportの実質的リーダーだったとする評価が非常に多いようですが、これについては「時期によって違う」等のいろいろな意見があるようです。 しかし、Weather Report Wayne Shorterとの双頭バンドと言う事になっているものの、年を追う毎にJoe Zawinul の影響が色濃くなっていくという評価が大勢を占めており、1970年代後半から1986年解散までの Weather Reportは、特に Joe Zawinul の影響が強く支配していたというのは間違った認識ではないかと思います。 Joe Zawinul Weather Report で活動していた時期には自分名義のリーダー作を残していないようですし、その他のグループでの活動もなかったようなので、Weather Reportの活動に注力していたようです。
     
     
    Joe Zawinul は、1986年のWeather Report解散(54歳頃)後はウェザー・アップデート」という自分のグループを短期間組み、その後1988年頃からは「Zawinul Syndicate(ザビヌル・シンジケート)」というグループで活動、2007年9月11日に75歳でこの世を去る直前まで精力的に創作活動を続けたという事です。 Joe Zawinul が最晩年まで活動を続けたこの「Zawinul Syndicate」のサウンドは、Weather Report をさらにパワーアップしたようなかなり強烈なもので、世間一般では「高齢者」とされる60〜70歳代の人が行なっているものとは思えない、エネルギッシュな演奏がいくつも残されていて、本当に驚異的な人物だったと思わずにいられません。
     
     また、
    Weather Report 解散後の Joe Zawinul は、サックス奏者を自分のグループに招く事が一切なかったそうです。 これは、 Wayne Shorter に対する敬意によるものだったそうです(※)。 Joe Zawinul が2007年9月に亡くなる直前にライブ録音された「75th 〜Last Birthday Live」という Zawinul Syndicate アルバムでは、Wayne Shorter をゲストとして招きデュオによる演奏を残しています。 Weather Report 末期のこの2人の間には一部不仲説が流れていましたが、Weather Report 活動時も、さらに解散後においても、音楽的にはお互いが尊敬し合っていたという事なのでしょう。 義理堅い人であったのかもしれません。 Wayne Shorterとは国籍も人種も違うのですが、2人の共通点は同世代であるという事と、何らかの形で「戦争」を経験しているという事でしょうか。
     
    • ※:Joe Zawinul の遺作となってしまった75th 〜Last Birthday Liveの日本版CDのライナーノーツ(松下 佳男 氏筆)より。

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  • Joe Zawinul氏は2007年9月11日、世界中のアーティストやファンから惜しまれつつも永眠されました(享年75歳)。 心よりご冥福をお祈り申し上げます。
     
  • 2004年5月からは故郷ウィーンで、「Birdland」と言う名前のJazzクラブを始められていたそうです。
     http://www.birdland.at/ 
     
  • Joe Zawinul オフィシャルサイト: http://www.zawinulmusic.com/

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  • ちなみに、Weather Report 解散直後の「ウェザー・アップデート」と言うグループは、活動期間が短かったと言う事もあり、どうやらアルバムと言う形では作品を残していないようですが、各地でライブ演奏を行なっていたようです。 私は過去のNHK-FMのJazz番組(Jazz評論家の故・ 本多俊夫氏解説の「ワールドジャズフェスティバル特集(特別番組・1987年3月30日放送)」という番組)の中で放送された、「マン・ウィズ・クーパー・フィンガーズ」という9分ちょっとの演奏1曲だけをカセットテープに保存していますが、これを聴く限りは、Weather Report 解散後も70年代半ば〜後半頃の同グループ全盛期に似た感じの演奏も行なっていたようです。  この曲のオリジナルは、Weather Report の1986年ラストアルバム「This Is This」に収録されていますが、1987年の「ウェザー・アップデート」のライブでは少々違うアレンジとなっており、出だしのベースラインが、1974年「Mysterious Traveler」の中のCucumber Slumberという曲の出だしに酷似、というか全く同じです。
     
     「ウェザー・アップデート」のメンバーは、放送の解説部分が残っていないので分からないのですが、あるサイトによれば、ジョー・ザビヌル(Key)、ジョン・スコフィールド(G)、ビクター・ベイリー(B)、ピーター・アースキン(Drums)、ミノ・シネル(Per)というそうそうたるメンバーだったようです。(Bass、Drums 、 Per の3人は、Weather Report全盛期〜末期のメンバー) Weather Reportと比較してギターが加わったのが特徴的で、この後の「Zawinul Syndicate(ザビヌル・シンジケート)」と同様に管楽器(sax)はありませんでした。

2006(H18)年05月02日掲載・2009(H21)年1月一部修正

Wayne Shorter(ウェイン・ショーター) 1933 -
 t-sax, s-sax、作曲、編曲、プロデュース
  • 1933年8月25日 米ニュージャージー州生まれ。 ミシン工場の工員をした後、ニューヨーク州立大学に進み、卒業後1956〜58年の間、海兵隊員として朝鮮戦争に従事(その間隊員として一時的に日本にもいたらしい)、その後Jazzプレーヤーとして活動開始。 1959年(27歳)〜1965年(32歳)までアートブレーキー・ジャズ・メッセンジャーズに在籍、1964年秋(31歳)から1970年春(37歳)はマイルス・デイビスのグループに在籍し、ハービー・ハンコック(Key, Piano)、ロン・カーター(Bass)・トニー・ウィリアムス(Drums)らと共に「黄金のクインテット」と呼ばれていたそうです。 1968年にはJoe Zawinul(ジョー・ザビヌル)がマイルスのグループに加わりましたが、そこで2人が出会ったのでしょう。 それまでも60年代〜70年に数枚のリーダー作を発表していますが、いずれも宇宙的で混沌とした、かなり作り込んだ感じの作風のアルバムだそうで、当時はかなり先鋭的なアーティストとしてみられていたようです。 1970年〜1986年の間 Weather Report に在籍した事で有名ですが、このグループの初アルバム「Weather Report」発表の1971年は37〜38歳の頃で、ミュージシャンとしても脂が乗っていた頃だったのでしょう。
     
     この人はテナーsaxとソプラノsaxを演奏しますが、どちらかというとソプラノsaxによる演奏が比較的多いような気がします。 バリバリのテクニックを駆使して吹きまくるといった感じのソロの取り方はあまりなく、独特の音色で控えめに淡々と唱う人です。 また、ビブラートをあまり使わないという印象が強い
    (使ってはいますが、あまり強くビブラートしない)。 Weather Report在籍時にも数枚のリーダー作を発表していますが、あまり枚数は多くなく、他のミュージシャンとコラボレート作品が多いようです。 数少ないリーダー作の中でも傑作と言われているのは、1975年にブラジルのシンガー・ソングライター、ミルトン・ナシメント(ファルセット=裏声で唱う事が多い)と共演したリーダー作「Native Dancer(ネイティブ・ダンサー、これもソプラノSaxが多い)で、個人的に好きで今でも時々聴きますが、Weather Reportとは全く作風が違い、ほのぼのとした感じのブラジル音楽で、癒し系の1枚です(お勧め)。 その他、ジョニ・ミッチェル、カルロス・サンタナ等とも仕事をしているようです。
     
     70年代後半にはハービー・ハンコック、ロン・カーター・トニー・ウィリアムス のマイルス・バンド「黄金のクインテット」時代のミュージシャン達と共に活動した「VSOP」というモダンJazzのグループでも活動する等、活動の幅がかなり広かったようです。 (V.S.O.Pは日本でも人気が高かったグループです)
     
     Weather Report 解散後は自分のグループを率いて、あるいはソロとしていろいろなJazz系ミュージシャンと演奏活動を行っていて、これまで通算6回も米グラミー賞を受賞しているそうです。 プライベートな部分では、1971年に誕生したお子さんが先天性の重度の障害を持っていて、14歳の時に亡くなってしまうという辛い経験もされているそうです。 関係ないかもしれませんが、ちょうどWeather Reportでの活動時期と重なっています。  
     
     余談ですが、自分のグループで演奏する、1990年代のライブ映像を以前見た事がありますが、その時YAMAHAのソプラノsaxを使っていたのが印象に残っています
    (Jazz系のSax奏者はセルマー製を使う事が多いのですが)

2006(H18)年05月02日掲載

Miroslav Vitous(ミロスラフ・ビィトウス) 1947 -
 Acoustic Bass、(Eelectric Bass)
  • 1947年12月6日 チェコ・プラハ生まれ。 1966年に米に渡り、ハービー・マン、チック・コリア・トリオに参加し、Weather Report結成前のWayne Shorterのリーダー作「Super Nova(1969)、「Moto Grosso Feio(1970)にも参加しています。 マイルス・デイビスのグループにはいたのでしょうか? Weather Reportの初アルバム「Weather Report」発表の1971年は23〜24歳頃ですが、それまでにも自分のリーダー作を発表する等、当時は早弾きの若き天才と言われていたようです。 1974年(26歳)には、アメリカ東海岸から西海岸に場所を移して録音されたアルバム「Mysterious Traveler」で収録曲の7曲中1曲だけ参加してWeather Reportを脱退しました。 以後は自分のグループを結成する等して現在も活動を続けているようです。
     
     
    Weather Reportにおいては初期の3〜4年ほどしか在籍しておらず、ビィトウスの脱退後にグループの作風が少しづつファンキー/ポップに変化して行き、さらにグループの人気が高まった事もあり、一般的な評判としては、Weather Reportの音楽がよりファンキーに変化していく中で、ヨーロッパ人であるがためファンキーなBassが弾けないビィトウスが脱退したのだという意見もあるようですが、それは全くの認識不足で、同グループにおけるこの人の評価が低すぎると指摘する「研究者」もいます。 日本生まれの日本人でもファンキーな演奏をするミュージシャンはいるので、生まれた場所でその人を評価するのも変な話だと個人的には思ってしまいます。
     
  • Miiroslav Vitous オフィシャルサイト:  http://www.miroslavvitous.com/

2006(H18)年05月02日掲載

Alphonso Johnson(アルフォンソ・ジョンソン) 1951 -
 Eelectric Bass
  • 1951年2月2日ペンシルバニア州フィラデルフィア生まれ。 11歳からベースを始め、高校卒業後、いくつかの自分のバンドを持ち活動。 1972年末にウディ・ハーマン楽団、1973年後半にはチャック・マンジョーネのグループで活動。 1974年2月(23歳)から1976年(25歳)までWeather Reportに在籍しました。
     
     
    Weather Reportのアルバムでは、アメリカ東海岸から西海岸に場所を移して録音されたアルバム「Mysteruous Traveller」(1974年)で初めて登場。 このアルバムで、入れ替わるように設立メンバーの1人だった Miroslav Vitous(ミロスラフ・ビィトウス・主にAcoustic Bass)が脱退しました。 (Weather Report に、ファンキーな要素を加えたがったJoe Zawinul が Alphonso Johnson を迎え入れたという話が、いろいろなサイトに出ています) その頃からWeather Reportの作風がファンキーに変化していきました。 1974〜1975年頃の約2年間このグループで活動しましたが、グループが1976年に発表した代表作「Black Market」で7曲中5曲を演奏し(2曲は3代目ベーシストのジャコ・パストリアスが演奏)、それを最後に脱退。 その後、1976年にビリー・コブハムやジョージ・デューク・バンドに参加したようですが、その後〜現在の活動状況については良く調べていません。

2006(H18)年05月02日掲載

Jaco Pastorius(John Francis Pastorius III・ジャコ・パストリアス) 1951 - 1987
 Eelectric Bass、作曲、編曲
  • 1951年12月1日ペンシルバニア州ノリスタウン生まれ。 あるサイトによれば、7歳で両親とともにフロリダに移り、地元のバンドでドラムを担当していましたが、フットボールの練習中に右手を負傷してから、11歳よりベースを始めたそうです。
     
     詳しい情報はこちら → 
    Jaco Pastorius Wikipedia
     
     1974年
    (22〜23歳)頃にプロデビューし、大物Jazzピアニスト Paul Bley とのセッションや、Pat metheny(パット・メセニー、1954-、Guitar)の1stアルバム「Bright Size Life」※(1975年)他、いろいろなアーティストのアルバムに参加したり、1976年には1stリーダー作「Jaco Pastorius(邦題:ジャコパストリアスの肖像)」を発表しました。 デビュー間もない頃にも関わらず、このアルバムには、やはり大物 Harbie Hancock(key,Piano)、Hubert Laws(Flute)や、当時売り出し中だった(たぶん)Randy Brecker(tp)、Michael Brecker(t-sax)David Sanborn(a-sax:当時Gil Evansのオーケストラでの活動や、リーダー作を発表していた)、他も参加しており、なんと1曲だけ Wayne Shorter の名前もクレジットされています。 期待の大型新人だったのでしょう。 米フェンダー社のフレットレス・ベースを使っていた事で有名です。 自分の知る限り、チョッパー奏法はやっていない?
     
  • 1976年〜1982年頃まで、Weather Reportに在籍していた事で有名です。 このグループには1976年(24歳頃)から参加していますが、その経緯には諸説あるようで、 Peter Erskine(ピ−ター・アースキン、Drums、1978年よりWeather Reportに参加)が紹介したとか(当時アースキン自身もまだかなり若い駆け出しだったはずなのでこれはガセ?)、1975年にフロリダに来ていたJoe Zawinul Jaco が直接売り込んだとかいろいろありますが、デビュー間もない頃から Paul Bley とのセッションを行ったり、先の1stアルバム「Jaco Pastorius」には Wayne Shorter や、Shorterの旧友でもある Harbie Hancock が参加している事から考えると、別の経緯があったのかもしれません。 一般的にWeather Reportの全盛期(全盛末期?)と言われている時期に在籍し、その間は演奏活動の他に、作曲や編曲・プロデュースまで手掛け名曲を多く残しました。 ベースの演奏以外にも大きな才能を持っていた人です。
     
     Weather Report 在籍時も他のアーティストのアルバムへいろいろとゲスト参加してますが、個人的に好きな曲の一つが、Herbie Hancock(key)の1977年のアルバム「
    Sunlight」の最後の曲「Good Question」です。 (アルバム内でこの曲だけドラムはTony Williams。 Herbie Hancock、Tony Williams共にマイルス・バンドに過去在籍していた) アルバムの他の曲も良いのですが、私はこの曲だけはかなりハマって何百回聴いたか分からないほどです。 1978年と言えば、Weather Report が「Mr.Gone」を録音している頃です。 その後、1981年(29歳)Weather Reportを脱退しました(酒・ドラックによる問題行動が原因らしいとされています)。 ここまで書いてやっと気がつきましたが、Weather Report 初期〜全盛期にかけての3人の歴代ベーシストは全て当時20歳代の若い人ばっかりだったんですね。
     
     Weather Report 脱退後、1981〜1982年
    (30歳)頃の短い期間には、自分のビックバンド(Word of Mouth)を作って活動、数枚のアルバムを残したりコンサート活動を行っており、日本でのライブ録音も残されています(Jaco Pastorius Big Band・Live in Japan 1982」〜2枚組CDで、総勢20名のビックバンド。 これはお勧め)

     この後
    (30歳くらい以降)は、やはり酒・ドラックによる問題行動が原因でレコード会社から契約を打ち切られ、その後は自分名義のアルバムが出せなくなったためサイドマンとして活動を続けたそうですが、だんだんと腕も鈍り、1987年(35歳)に不幸な亡くなり方をしています(酔った上での喧嘩で殴られ、それが原因で死亡とからしいです) 非常に短い活動期間やその間の仕事内容の濃さ、晩年のゴシップ・早過ぎた死と言う事で、現在ではその存在が伝説化されている感じです。 (過去のJazzの天才・巨匠達にも同じように晩年が不幸だった人が何人かいますね...)
     
     この人の演奏するベースはまずテクニックが超人的、加えて本当に歌心があり、その魔法のような魅力は没後20年を経た今も衰える事なく、彼の影響を受けたミュージシャンや、彼のファンは今も世界中にいて、その魅力が今も語られ続けています。 近年も、彼の曲を扱ったトリビュートアルバムがいくつも発表されていたりもします。 1970年代半ば〜後半にかけて盛り上がったクロスオーバー・ミュージックと、彼の活躍した時期・全盛期がほぼ一致するのは何とも不思議です。
     
  • 没後20年経ってしまいましたが、なぜかオフィシャルサイトがあります。
    ジャコ・パストリアス・オフィシャルサイト http://www.jacopastorius.com/

2006(H18)年05月02日掲載

Peter Erskine(ピ−ター・アースキン) 1954 -
 Drums
  • 1954年6月5日、米ニュージャージー州ソマーズ・ポイント生まれ。 (これを書くのに調べてから初めて知りましたが、ジャコより3歳も年下だったんですね。 申し訳ない事にずっと逆だと思ってました...) 幼少の頃からドラムを始め、1972年(18歳)からはスタン・ケントンと共演し国内外のツアーに参加した早咲きのミュージシャンだそうです。 1976 年(22歳)からメイナード・ファーガソン楽団で活動した後(そういえば、Joe Zawinulも1959年の渡米後にメイナード・ファーガソン楽団で活動しています)、1978年(24歳)〜1982年(28歳)までWeather Rportに在籍しました。 ずいぶんと若かったんですね。
     
     ジャコ・パストリアスとこの人が在籍した期間の
    Weather Reportが、一般的には「黄金期」とか「全盛期」とする意見が非常に多いです。 ジャコとはとても仲が良かったと言う話も聞いた事がありますし、それを含めいろんな意味でグループのピークだったのかもしれません。
     
     
    Jaco Pastoriusといっしょに同時期にグループから抜けていますが、脱退後は1981〜1982年(28歳)はジャコのビックバンド(Word of Mouth)で活動し、1982年(28歳)〜1986年(32歳)にはSteps(ステップス、ビブラフォン奏者の Mike Mainieri =マイク・マイニエリ主催で、当時Michael Brecker(T-sax)も参加したJazzグループ。その後はSteps Aheadに改名、初期1980〜1981年頃のDrumsは Steve Gadd という凄いフループ)、その他、Weather Report解散後のJoe Zawinulのバンド「ウェザー・アップデート」や、ジョン・アバクロンビーのアルバムやツアーに参加したそうですが、最近の活動状況は良く知りません。 個人的には、Steps Aheadでの演奏もとても印象的です。
     
     この人のドラムには歌心があり、特徴のあるフレーズを繰り出します。 また、「天才肌」のドラマーなどと言われています。 演奏家としての顔の他、ドラム・テクニックの教則本を出版したり、教育者としても名声があるそうです。
     
  • ピーター・アースキン・オフィシャルサイト: http://www.petererskine.com/

2006(H18)年05月02日掲載

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Weather ReportJoe Zawinul [-1]
Weather ReportJoe Zawinul [-2]
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