about 70's crossover music
70'S クロスオーバーについて |
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前置き
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1970年代のクロスオーバー(フージョン)について知っている事や、普段ぼんやりと考えていた事を書いてみました。 ここでの「クロスオーバー」の定義については、あくまで個人的な意見を述べているだけですのであしからず。 また、誤記や勘違いはぜひご指摘ください。
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70年代クロスオーバーミュージックについて
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「クロスオーバー」は簡単に言うと、1970年代に試みられた”新しい音楽のムーブメント”とでも言うのでしょうか? ジャズのフィールドに身を置きながらロックを取入れる、又はその逆、加えてその他、R&B・ソウル等のジャンルの音楽も融合しようと、多くのミュージシャン達が試行錯誤を重ね、その結果多くのバリエーションの作品が生み出されました。 諸説あるとは思いますが、それらの当時としてはカテゴリー分けが明確でない音楽の事を「クロスオーバー」と言っていたのではないでしょうか。 また、その間には本当に多くのスタープレーヤー達が登場しています。 本格的なブームがあったのは1970年代半ば〜1980年頃にかけての実はそれほど長くない期間でした。
もともとジャズとロックが融合すると言う形でクロスオーバーミュージック(ジャズファンク)が発生したのは1960年代後半〜70年代初頭のアメリカだそうですが、あまり詳細な事は知りません。 創始者というか、元祖みたいな流れが複数あるのでしょうが、シンセサイザー等の電子楽器の登場/普及が大きく影響していると言う事を聞いた事があります。 かつてのジャズ界の帝王マイルス・デイビス(tp)が1960年代後半に、それまでのジャズの掟を破って電子楽器を多用するようになっていたので、その辺も源流の一つなのかもしれませんし、同時期にジャズとロックのミューシャン達が直接セッションを行なうと言う形で作り上げた「ジャズロック」や、アメリカのCTIレーベル等一部のレーベルで試みられていたものなど、いろいろな流れがあったのではないかと思います。 また、1970年代はジャズやロックに限らずいろいろなジャンルの音楽が融合・影響し合ってどんどん新しい形のものができていた時期だったようで、ロックに次々と新しいバリエーションが増えたり、ポップスの世界でもディスコミュージックが発生する等、そのような動きが盛んだった、というのもクロスオーバーというカテゴリーが生まれた背景としてあると思います。 ここ日本では1970年代後半に本格的なブームが訪れ、多くのクロスオーバー作品が発表されたり、ライブが行なわれており、当時日本のFM局では連日のようにクロスオーバーを扱った番組を放送していました。 1978年頃より聴き出した当時高校生だった私は、FM放送でいろいろな情報を集めたり、番組中でかかった曲をカセットに録音したり、少ないお小遣いで輸入LPレコードを買ったりと、むさぼるように聴いていたのを思い出します。 ロックやポップス、日本の歌謡曲等に比べればマイナーな存在でしたが、普段の生活の中でも耳にする機会の多い音楽でした。 そんな感じでクロスオーバーは1970年代半ば〜後半にかけて全盛期を迎えていましたが、1980〜81年頃から、新しく「フュージョン」と呼ばれるものへと変化、だんだんとジャズやロックから離れてポップになり、「フュージョン」という新しいカテゴリーが作られていったと思います。 しかし個人的にはだんだんと違和感を覚えたり、つまらなく感じるようになりました。 「クロスオーバー」という言葉は使われなくなりましたし、一部のミュージシャン達は新しいフュージョンやその他のフィールドへ活躍の場を移し、また一部のミュージシャンは元々のフィールド(ジャズやロック等)に戻り、1980〜1981年頃から急速に「クロスオーバー」というカテゴリーがなくなっていったように思います。 私自身は70年代後半から80年代始めのこの流れをリアルタイムで感じていたので、非常に寂しく感じたのを覚えています。 と言う事で、「1970年代のクロスオーバー」と「1980年代以降のフュージョン」を勝手に区別しています。 ちなみに、1970年代後半当時「クロスオーバー」という呼び名/ジャンル分けは、実は日本国内だけで行われていたようで、本場アメリカやヨーロッパ等では「ジャズロック」とか「ジャズファンク」などと呼ばれていたり、単に「ロック」として扱われていた事もあったという話を聞いた事があります。 近年では欧米の音楽サイトでも「フュージョン」というジャンル分けを行なっているところがあります。
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70年代クロスオーバーとは何だったのか?
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「クロスオーバー」は、ジャズやロックを主体としているだけでなく、R&Bやソウルなどのブラック・ミュージックの要素が多く含まれています。 しかしジャズやロックも、元々ブラック・ミュージック(ロックはブルースが変化したもの)なので、ブラック・ミュージックの亜種同士が入り乱れていただけなのかもしれません。 また、当時クロスオーバーは、特にアメリカではジャズ系ミュージシャン達が多く活躍していた事もあり、ここ日本でもジャズからの観点によりジャズの亜種として語られる事も多く、私も長い間そのような認識でした。 しかし、ここ日本ではロック系ミュージシャンの活躍も多かったため、その辺の認識はいろいろあるものと思います。 いずれにせよ、1980年代以降に「フュージョン」という形でひとまず落ち着く前の、あれやこれやの異種格闘技戦や乱闘騒ぎ、試行錯誤の過程が面白かったのが「70年代クロスオーバー」のブームだったのかもしれません。
また、「クロスオーバー」はインストゥルメンタル(歌なし)曲が基本で、曲中には必ずテーマのコード進行に乗っ取ったアドリブソロが入り、大きな要素・魅力となっています。 リスナーの最大の楽しみの一つはこのアドリブをじっくり聴き込む事だったと思います。 関わっていたミュージシャンがジャズ系・ロック系の人ばかりでなく、R&B・ソウル・ゴスペル系の人、クラシック出身の人・・・といろいろだった事により、ミュージシャンそれぞれの特色がありました。 同じミュージシャンでもセッションで組む相手や演奏の時期によって作風が変ったりもしたので、その演奏内容は本当に千差万別です。 また、それぞれのミュージシャン達はグループを組んで演奏する事もありましたが、基本的には個人で活躍するスタジオミュージシャンが多かったため、セッションスタイルで演奏活動やレコーディングが行われる事が多く、ミュージシャンの組み合わせは非常に多種多様、一つのアルバムでも演奏するバックミュージシャンが違うという事も珍しくなく、特定のグループでしか演奏しないというミュージシャンは割と少なかったようです。 すばらしい演奏テクニックやアドリブを披露するスタープレーヤーが当時多くおり、レコードを買う時は好きなミュージシャンの演奏しているものを夢中で探して買っていたというファンは多いと思います。 また、入手した音源をじっくりと聴き込むのが当時のクロスオーバーファンのあるべき姿だったような気がします。 この聴き方はジャズファンやロックファン等と基本的に同じ。 あの曲の誰それのアドリブは素晴らしい等と友人と話をしたり、ベースやドラムが全て頭に入るほど聴き込んだとか、初めて聴いた曲でもこの楽器は誰の演奏だとか当てたりとか...。 人それぞれだとは思いますが、基本的にはじっくり聴き込むのがファンの楽しみ方でした。 歌心がすばらしいミュージシャン達がたくさんいて、本当にすばらしい名演奏が数多く残されています。 しかし当時は、流行っているので金になるという理由でクロスオーバーをやっていたミュージシャンも中にはいたと、後に聞いた事がありますし、逆に、生粋のジャズ系ミュージシャンの中にはクロスオーバーを絶対にやらない人達がいました。 ジャズファン達の間でもクロスオーバーの扱いは結構微妙だったようで、ちょっと流行ってるから聴いてみたという人は当然いたのですが、そのほか一部の生粋のジャズファン・マニアの人たちは敬遠して聴きたがらない傾向があったようです。 日本のジャズ評論家の中にも明らかに嫌っていたような人もいたので、一部のジャズマニアや専門家の間では際物扱いだったのかもしれません。 理由は、ロックやその他ジャンルの音楽の影響を受けていると言う事でしょう(一部のJazzマニアの人達には少なからず排他主義的な傾向があるので)。 しかし今になって振り返ると、結果的にすばらしい演奏・作品群が多く残されたと思います。 勝手ながら個人的にこの時期は、新しい才能や傑作が同時多発的に生み出された「奇跡の時期」だったのではないかと思っています。 今からでも遅くないので、これらの音楽がもっと多くの人に改めて評価されるべきではないかと思います。 ブームからおよそ30年が経過した現在でもいまだCD化されていなかったり、CD化されても廃盤となってしまって現在では入手困難なアルバムが数多いのがとても残念です。 |
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クロスオーバーミュージックはアメリカと日本が中心だった?
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1970年代当時、世界中でファンが多かったクロスオーバーミュージックですが、その本場は発祥の地アメリカです。 そのアメリカ国内でも、ニューヨーク(東海岸)とロサンゼルス(西海岸)の、大きく分けて2つの拠点がありそれぞれに特色がありました。 この他、この日本でもいろいろなクロスオーバーが生まれています。 しかし、やはり一番盛んだったのは米東海岸のニューヨークで、もともとジャズに限らず世界各地からミュージシャンが集まっていたという事情によるものでしょう。 その他、日本やヨーロッパ等世界各地で行なわれたライブがアルバムになって発売されている物も数多くあります。
日本国内のクロスオーバーは、ミュージシャンの間では1970年代中頃になってから動き出したようで、ジャズ指向/ロック指向のいろいろなミュージシャン達が入り乱れる形で始まりました。 ただ、当時はロック系のミュージシャン(当時の花形楽器のギタリストが多かった)がこの分野で多く活躍し出していた事もあり、初期のものには比較的ロック色の濃いクロスオーバー作品が多かった、と言う事はたびたび指摘されています。 そのうちジャズ系ミュージシャン達や、サックス等のホーンセクションが本格的に加わる等しながら、よりファンキーに変化していきました。 特徴的なのはミュージシャンの日米交流が盛んだった事です。 アメリカのミュージシャンのアルバムが日本のレーベルから発売される事もありましたし、日本のミュージシャンがアメリカまで録音しに行くと言う形でアメリカのミュージシャン達とのセッションアルバムが製作されたり、ライブ演奏のため来日したアメリカのミュージシャンと日本のミュージシャンがセッションする事もよく行なわれていて、ファン達に熱狂的に受け入れられました。 クロスオーバーのブームは日本のミュージシャンやファン達に支えられていた部分も大きいと指摘する人もいます。 その他、日本の若手ミュージシャン達だけによるアルバムもまた多く作られており、アメリカのクロスオーバーには無い独自の個性を放っていました。 日本のクロスオーバーを語る際には、数多くのミュージシャンの名前が上がってくると思いますが、個人的には 深町 純(ふかまち・じゅん)と言うミュージシャンの存在は非常に大きかったのではないかと思います。 その他の地域、例えばヨーロッパ等ではどうだったかと言うと、もともとジャズが盛んなこの地域でもブームが起こり、クロスオーバーのコンサートは多く行なわれたりして、ライブ録音の名盤もいくつか残されています。 しかしその多くはアメリカのミュージシャンによるライブでした。 ヨーロッパにもクロスオーバーをやろうとするミュジシャン達はいたらしいのですが、しかしその演奏はやたらロックっぽかったり、逆にフリージャズっぽかったりと演奏内容が極端にどっちかに偏る事が多く、アメリカや日本で演奏されていたクロスオーバーのようには洗練されていなかったそうです。 これは、1978〜80年頃にNHK-FMのジャズ番組の放送の中で、ジャズ評論家の故・ 本多俊夫氏が話されていた話の受け売りですが、この話が自分には非常に興味深いものだったので、いまだに良く覚えています。 事実、アメリカとヨーロッパのミュージシャンのセッションによるクロスオーバー作品や、ヨーロッパのミュージシャン達だけによるクロスオーバー作品は、一部を省きあまり作られなかったようです。 余談ですが、1980年代後半〜90年代前半にイギリスを中心とした「アシッドジャズ」と言われるブームがありました。 前出の本多俊夫氏の話を覚えていた自分にとって、ヨーロッパで生まれたファンクジャズ・ムーブメントというのが驚きでした。 どういう音楽だったかと言うと、ジャズをベースにしているところは70年代のクロスオーバーに似ていましたが、ヒップホップ等の新たな影響が加わっていました。 クロスオーバーブームの再来かと思い私も一時期面白がって聴いていましたが、しかし、70年代のものと大きく違った点は、基本的にはポップスを70年代クロスオーバー/ソウル/R&B風にやってるという感じで、70年代を意識しながらも基本的にポップス/ダンス音楽として作られていた流行モノの音楽だったので、思慮深さが足りないのか薄っぺらな作りのものが多く、テクニックや歌心がすばらしいスタープレーヤーがほとんどいなかった事です。 多くのアルバムが粗製乱造っぽく、聴き込めるような程度の良いソロも少なくリズムやノリだけが重視され、じっくり聴き込むと言う類いのものではありませんでした。 そのうち単なるヒップホップやポップスと区別できなくなるまでスタイルを迎合してしまい、アシッドジャズ・ムーブメントは自然消滅、結局流行は短命に終わったようです。 |
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時代背景 〜1970年代後半の日本の雰囲気
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高校生の私がクロスオーバーを夢中になって聴いていた1970年代後半当時の日本は、現在と比べればまだ「成長期」と呼べる頃で、土地の値段もサラリーマンの給料も下がる事はないと信じられていた時代です。(1980年=昭和55年) まだバブル景気前で、これからもっと自分たちは豊かになっていけると誰もが信じて疑わなかった時代です。 全てのものが新しく変わっていく事や使い捨てが良しとされていて、懐古主義などは悪、変化が激しくて新しいものが出るとそれまでのものがとたんに色あせて見える時期だったと思います。 音楽に関してもそうで、たった10年前のものはもう古くさくなって既に懐メロ状態でした。 ちなみにインベーダーゲームが大ブームの頃で、私も友人と喫茶店でアイスコーヒーを飲みながらやっていた記憶が...。
しかしその頃の日本人には、自分たちはまだ発展途上というか荒削りの状態にあるといった感覚、というか自覚があったのか、例えば、国産自動車は年々性能やデザインが良くなっていったのに、輸入車に比べ数段格が低く見なされ、「国産車は故障は少ないがカッコ悪い」などと言われていました。 戦後の日本人のアメリカ大衆文化へのあこがれが圧倒的に強かった時代の、たぶん末期の頃で、当時はアメリカ的なものは洗練されててカッコ良いといった雰囲気がまだずいぶんと残っていました。 音楽に限らず車などの工業製品のデザインやファッションに至るまで、アメリカ大衆文化の影響を強く受けていたと思います。 現在とは全く違います。 1970年代中頃〜後半(昭和50年代前半)の私は中学生〜高校生の頃だったのですが、そうした日本の雰囲気を感じながら過ごしていました。 たぶん今の日本人の多くがそうであるように、私自身にもアメリカ文化へのあこがれ等というものは今や微塵も残っていませんが、私はこうしたアメリカ文化へのあこがれが強かった社会的雰囲気の中で多感な思春期を過ごした最後の世代ではないかと思います。 70年代後半の日本で、アメリカ産のクロスオーバーミュージックというものがブームになった背景には、こういった事情もあったのかもしれません。 2004年08月26日 掲載 |
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